■フランスの巨匠エドゥアール・マネが舌で堪能し表現した牡蠣のエロス
今でこそ美術発展途上国・日本でもいいご家庭のご婦人・淑女にやたら人気の印象派画家、エドゥアール・マネさんですが、実はその作品は元々は日本の厳かなご婦人たちの気品に合うような、そんなまろやかな存在であったわけではありませんでした。
画像:エドゥアール・マネ
・1832年1月23日-1883年4月30日(没51歳)
・フランス パリ出身
・絵画、版画家、印象派の先駆者
そんなマネさんもまた、牡蠣をこよなく愛して止まない牡蠣好きフランス人の1人だったのでしょう。素晴らしい生牡蠣をモチーフにした絵画を残しています。
何とも美味しそうに並んだ新鮮な生牡蠣の表情。
牡蠣の新鮮な生の柔らかくもハリのある若い女性のような触感、何とも言えない透明感のある艶、身に残した海水と自身の味わい深いエキス、それを口に入れた時に広がる何とも言えない讃美歌のような喜び・・・。横にあるレモンを絞った時に噴き出る果汁、あああ今すぐにでも食べたい・・・。
これらを再現するこの絵画が、どんなに官能的なことかを見せつけた作品となっています。正直純情カキコからすると、これだけの感性を揺さぶるこの作品は、裸体などよりも数段エロティックなものに思えます。
■フランスの巨匠エドゥアール・マネが反社扱いでも突き通した己の意思
先ほどの牡蠣の絵画が描かれた1962年前年、エドゥアール・マネさんはサロン・ド・パリ(18世紀にフランスの王立絵画彫刻アカデミーがパリで開催するようになった公式美術展覧会)で初入選を果たし、その後も画家として活動を続けます。
当時はサロンへの入選が画家として成功するための登竜門となっていました。
画像:サロンの様子(1880年)
そうして数年かけてようやく入選を果たしたマネさんでしたが、いざサロンに入ってみると、マネさんの描く絵画が既存のアカデミックな技法ではなくて、独自の主張、つまりははっきりした輪郭や平面的な色面を用いながら描く作品(のちに印象派として象徴的技法のひとつとなる)であることからサロン内でも方々から非難されるような状況となりました。
余談ですが、1860年代からフランスでは「ジャポニズム」という日本の浮世絵に影響を受けたムーブメントが流行しています。
さらに「かきの絵画」が描かれた翌年、1863年に応募した作品『草上の昼食』で、エドゥアール・マネさんはサロンに落選します。それだけでなく批評家たちからその作品は散々酷評と嘲笑を浴び、一大スキャンダルとなりました。
同じ1863年のサロンで大絶賛を浴びたアレクサンドル・カバネルの『ビーナスの誕生』の画面内でもモチーフとして裸婦が描かれていましたが、それは現実世界ではなくて神話の世界という設定であることから「良識に反することはない」ということで大絶賛という不思議もありました。
そこにはルネッサンス以降、古くからある「約束事」の存在があったのです。
マネさんの描いた『草上の昼食』では現実世界における舞台設定の中で、実在しそうな生々しい裸の女性が着衣の男性と草の上で談笑しているというテーマが非常に不道徳的でスキャンダラスだ!という事でですね、今でいう公序良俗に反するという痛烈に非難されるという事がありました。
完全に反社扱いです。
■エドゥアール・マネが残したアツイ名言も牡蠣に添えてみる
あっそ。と思ったかどうかは分かりませんが(笑)、
さらにエドゥアール・マネさんは追撃のように(あからさまにケンカ売ってるんじゃないか?というような話ですけれども(笑))懲りずに1865年のサロンで『オランピア』という作品を提出して応募します。※本人に背信的悪意はなかったようです。
堂々とフランス人娼婦を描いたことで、『草上の昼食』を上回る大バッシングを受けると共に大炎上を巻き起こしました。当時の時代から言うと、きっと反社が丸確したような出来事であります。
ちなみに「オランピア」という名前がまた面白いことになっていて、一般的には「当時のパリにおける娼婦の通称」というところ止まりで終わる話なのですが、実はこの「オランピア」という名前、世界でとても人気のある牡蠣の名前でもあるのです。
画像:オリンピア
パシフィックオイスターの仲間の牡蠣で、ゴールドラッシュの時期に乱獲されたことで1800年代に絶滅しそうになった牡蠣だそうです。1800年代という事ですから、マネさんが食べていた牡蠣ももしかすると「オランピア」だったかも?しれません。何となく「かきの絵」の牡蠣と形が近い気もしますし、よくよく見ると絵画の中の裸婦もだんだん生牡蠣のように見えてきますww
マネさんはきっと
日本のご婦人たちが考えているより、
結構ビビットな男性。
そこで見えてくるのがエドゥアール・マネさんの名言の背景なのであります。
真実は、他人の意見にまどわされることなく、おのれの道を進むことだ。
エドゥアール・マネ
また、これもカキコの勝手な想像ではありますが、生の牡蠣をこれでもか!と美味しそうに生々しく官能的に描いた作品は1ミリも非難されず、裸体の女性を登場させた絵画はさんざん酷評される、という状況から、大衆心理の愚かさや既存の評論家の批評のバカバカしさについても改めて確認したというところなのかもしれません。
また、同じ印象派の画家として有名になったポール・ゴーギャンさんが兼業画家だった頃に謙遜して「私はただの素人です」と言ったところ、マネさんはこんな回答をしています。
素人というのは、マズイ絵を描く人のことですよ。
エドゥアール・マネ
マネさんにとって、最も大事にしている感性は、「美味しそうであること」なのかもしれません。美味しさは美しさであり、生きている自分という存在に対する最大級の賛美でもあります。また、マネさんの創作意欲の源泉にきっとカキの官能的な味わいがあったことがうかがわれる言葉でもあります。
時は流れ、エドゥアール・マネさんは時代を代表する巨匠として名を残しました。「草上の昼食」、「オランピア」はエドゥアール・マネさんの代表作となり、フランス パリのオルセー美術館に所蔵されています。
パリへ行ったら、オルセー美術館へ行って、帰りに生牡蠣をたらふく食べてですね、マネさんの味わった官能的な感性を是非セットでなぞってみたいものですね!
ではまたお会いしましょう♪
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