鉄鋼王アンドリュー・カーネギーと牡蠣の名言『富の福音』源にカキ

かき名言

■鉄鋼王アンドリュー・カーネギーがカキの名言を残していた!

 

今回の『牡蠣の名言』はこんな方のお言葉です。誰だか分かりますか?スコットランド生まれでアメリカの実業家であるアンドリューカーネギーさんです。

 


画像:Wikipedia

アンドリュー・カーネギー
(Andrew Carnegie)
・1835年11月5日-1919年8月11日(没83歳)
・イギリススコットランド出身
・実業家、篤志家

 

1870年代にピッツバーグでカーネギー鉄鋼会社を創業し、その会社は1890年代には世界最大で最高益を誇る企業に成長。アメリカで個人が所有する最大の製鋼所の経営に至り、「鉄鋼王」として君臨する。1901年にJ・Pモルガンに同社を4億8000万ドル売却。以降は慈善活動に余生を捧げることとなった実業家であり篤志家。

 

■アンドリュー・カーネギー残した牡蠣にまつわる実業家らしい格言はコチラ。

 

そんな歴史に名を残す大富豪であり、鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーさんのカキの名言はコチラです。

 

一番乗りは牡蠣を得るが、二番目の人間が手にするのは貝殻のみである。
The first man gets the oyster, the second man gets the shell.

Andrew Carnegie (アンドリュー・カーネギー)

 

ちゃんと「oyster」って出てきますから牡蠣のようですね。きっとカーネギーおじ様も牡蠣が大好きだったに違いありません。その時代、生ガキをお召しになられたかどうかは分かりませんが、牡蠣の特別ジューシーな「うまみ」は大富豪の舌をも等しくうならす格別な味わいだったのでしょう。

 

世界的に有名なアメリカ産牡蠣ブランドというと「クマモトオイスター」だそうですが、元々は戦後(1948年頃~)日本の熊本県からワシントン州に輸出されたのがきっかけだとのことですから時代的にKUMAMOTOは残念ながらアンドリューカーネギーさんも食べそびれた可能性が高いです。

 


画像:neptuneoyster

 

なんと!

 

さて、話は戻って、アンドリューカーネギーさんの牡蠣の名言ですが、やはり、実業家だけに「最初に手掛けた者は無敵!」というビジネスの基本のような今にも続く名言を残されていました。同じ意味の別の言葉もあります。

成功の秘訣は、いかなる職業にあってもその第一人者たることを期することである。

 

この言葉通り、今現在でも凄腕事業家たちはスタートダッシュでまずは何としてもシェアを獲得することに多くのお金をかけてきていました。

 

しかし、アンドリューカーネギーさんは他にもたくさん名言を残されているのですが、それらを覗いてみるとちょっとした「お金持ち」に対する冷ややかな目線のようなものもあるのを私は感じました。

 

■慈善活動家アンドリュー・カーネギーの牡蠣以外の名言も覗いてみた。

 

いくつか、まず私の中で引っかかった事象と言葉を先にピックアップします。先ほど1901年にカーネギーさんがJ・Pモルガンに自身の創立した製鉄会社を4億8000万ドルで売却したというお話はしました。

 

その、出口戦略の成功によって、アンドリュー・カーネギーさんも余生を慈善活動家として第二の人生を切ることが出来たともいえるのかと思うのですが、どうも何となくですが本音はそんなまろやかな印象ではなかったようです。

 


画像:Wikipedia

 

まず、カーネギーさんのことを、J・Pモルガンさんがどのように語っていたか、という資料となるものがこちら。

 

当時のアメリカ金融業界の最重要人物である銀行家ジョン・モルガンは、カーネギーは非常に効率的に利益を生み出したと評価していた。

引用元:Wikipedia

 

読んで分かるようにカーネギーさんの実業家としての能力を非常に高く評価しています。

 

ところが。
一方のカーネギーさんはというと…

モルガン氏はパートナーを買うが、わたしは育てる。

 

どうも、あんまり評価していません。自身の虎の子だった会社を譲り渡した相手に送る言葉としてはとてもとげとげしい印象を持ちます。

さらに、別の言葉としてカーネギーさんはこのような言葉も残しています。

 

金持ちのままで死ぬのは恥ずべき死である。

 

金しか持たない階級ほど、哀れで惨めなものはない。

 

お金が人間を堕落させるのではない。
儲ける為だけに儲け、貯める為だけに貯めようとすることが人間を堕落させるのである。

 

全てのというわけではないでしょうが、明らかに、自身が人生で出逢ってきた「お金持ちたち」を指してとても強い批判をしています。

その中でも、生まれた境遇によって富を担保されている財閥出身者や、身内の発展のみを守るために蓄財し、その富を独占して我が子にだけ継承するような親の姿については「下品の極み」というようなニュアンスで「社会に還元できたはずの富を浪費するだけ」と残しています。

 


画像:Wikipedia

 

一方で、自身が手織り職人の長男としての生い立ちを持っていたからなのか?カーネギーさんには、貧しい家柄出身の子どもたちをとても温かい目で見つめていたようです。

「自分の力で人生を切り開くしかない」という気持ちを幼い頃から持って、たくましく取り囲む世界と戦い、貪欲に力をつけていこうとする姿をとても高く評価していたようです。

 

清く貧しい家庭に育った子どもは、裕福な家庭の子どもとは違い、かけがえのない宝物を与えられている。

 

そして、「私は育てる」と明言した通り、カーネギーさんは様々な才能や夢を持った子供たちが活躍の場を見出せるよう、3000弱の図書館の設立資金を寄付したり、大学の設立、天文台の257センチ反射望遠鏡建設、スコットランドの優秀な若者が大学に進学できるようにするためのスコットランド・カーネギー基金の設立、かつての従業員のために大規模な年金も創設しています。

そのほか書ききれないほどの基金や、主にお金の問題だけで能力を伸ばすことが出来ない境遇にいる若者の助けになるような活動をされていたようです。

 

また、音楽を愛していたことから7,000台の教会用オルガンを制作させ、1891年に建設したカーネギー・ホールは元々は所有されていましたが、今も愛される空間として活用されています。

余談ですが、2001年6月にピアニストのフジコヘミングさんはニューヨークのカーネギーホールで3000人の観衆の前でリサイタルを開催し、感動の渦を巻き起こし大成功を収めたことで世界へ演奏活動の再出発を遂げています。フジコヘミングさんの才能を考えると、とても遅すぎる評価ではありましたが、貧しい若い時代にピアニストとしての大きなチャンスを聴力と共に失った、ひとりの才能あるピアニストにとって、カーネギーホールは最後のチャンスを開いた場所でもあったという事かと思います。

 

■アンドリュー・カーネギーの著書『富の福音』のなかの言葉

 

カーネギーさんは著書富の福音のなかで、

裕福な人はその富を浪費するよりも、社会がより豊かになるために使うべきだ。

と述べています。

 


画像:Amazon

 

人は切磋琢磨して価値を生み出す努力をし、そこで富を築いた者はそれを社会に還元するための責任を負うべきだという内容が語られています。

 

一方で情報によると、自分が第一線に立って富を勝ち取る闘いをしていた時期には、競争相手の株式を抑えて買収・吸収合併したり、鉄道会社との密接な関係やアメリカの関税率が有利な形で継続されるよう議会にも熱心に働きかけていた等、市場操作の話もチラホラあり、「お金という富」をまずは勝って手に入れるという事に集中した時期もあったようです。

 

そして、それを手に入れた後に「富」というものの本当の姿を考えるようになったのかもしれません。多くの成功者は、富を手に入れて安定した暮らしの中に身を置くようになった時間よりも、明日どうなるか分からないという気持ちで懸命に目の前の試練と闘って崖を登り続けた時代について

「一番楽しかったのはあの頃だった」と語ることが多い気がします(主観)

 

 

■アンドリュー・カーネギーの格言から考える「富のありか」

 

カーネギーさんがそうして反則に近いやり方で勝っておきながら、余生に慈善活動を行ったことについて、彼の活動を批判する人も少なくない数が居たのかもしれません。カーネギーさんはこのような言葉も残していました。

 

自分の名誉を傷つけられるのは、自分だけだ。

 

この言葉が、とても心に残ったので、最後に載せさせていただきました。丁度、私自身、つい最近のことですが、色々な出来事があって、「とある小さな称号、と言うか肩書(?)」を貰い損ねたんです。(一定の努力をして制覇をすれば使用してよい肩書が貰える、というような類の小さなもの。)

 

今思えば、そこには(これは私の波動受信での所感ですが)色々な人間の損得勘定やしがらみもあったのだろうなと思いました。

 


画像:カーネギーホール

けれども、そんなのを全て取っ払った時、自分がそこへ精いっぱいの気持ちと時間をかけたこと、大学生以来の集中力と熱量で取り組み、本当にこんなに厳しくてツラい時間をよく乗り越えた!と自分が誇らしく思えるような、純粋で透き通った時間を経験できたこと、これこそが誇りであり、唯一の価値ある勲章だなと。

 

それを獲得するために私を支えて与えてくださった人々に、
私は感謝するだけだとすぐに思うことが出来ました。

 

称号はそれが終わった後の「待ち」の時間に貰えるオマケ(副賞)のようなものでした。
自分の実力をはるかに超える力を私は出せた、ということを実感していたので、当然オマケも付いてくるものだと思っていたのですが。。。

 

結論から言うと何の因果か、貰うことが出来ませんでした。

 

でも、色々な困難の中でも相当ギリギリまで戦ったという自覚があったことと、考えてみれば、それは私一人の力では決してできる事ではなかったという思いにもなり、一瞬確かにモヤっともしたのですけれど(笑)すぐにこう思ったんです。

 

本当の「富」はもう与えられているな、と。
私が欲しいのは肩書とか称号じゃない。だから会社員だって辞めたんだ。

 

自分の首にメダルをかけられるのは、自分だけなんだ。
岩カキコ

 

この言葉を強く強く感じていたので、カーネギーさんの最後に紹介した言葉もなんだか同じ意味の反対のケースと言うか、「富はいつも自分の内側にある」ということできっと繋がっていることなんだと思った次第です。

それでは♪

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