高級牡蠣・クマモトオイスターが渡米した理由にマッカーサーがいた

牡蠣マメ知識

 

■アメリカで大人気の高級牡蠣・クマモトオイスターは熊本県で自生していたシカメガキだった

アメリカで高級牡蠣ブランドとしてその地位を確立している「クマモト・オイスター」ですが、初めてその名前を聞いた時には、「え?なんでクマモト??」と日本人なら誰しも思うと思います。

牡蠣大好き・岩カキコもそのひとりでした。

 


画像:twitter

 

日本で流通している真牡蠣よりもずっと小ぶりですが、どうも日本以外の国では一口でするっと食べられる小粒の牡蠣の方が人気であるらしく、クマモトオイスターはその条件を満たしている甘味の深い美味しい牡蠣だという事で、アメリカでも大人気のブランド牡蛎として定着しました。

 

調べてみると、クマモト・オイスターは日本の九州有明海・八代海、そして福井県で自生していたシカメガキという真牡蠣とは少し異なる品種であることが分かりました。

 

 

シカメ牡蠣についてはコチラで詳しくお話しています↓

 

■牡蠣の女王・クマモト・オイスターが熊本県からアメリカへ渡った理由に第二次世界大戦とマッカーサーの存在があった!

熊本県に自生していたはずのシカメガキが、なぜアメリカで大人気ブランド牡蠣であるクマモトオイスターになっちゃっているのか??(笑)

 


画像:クマモトオイスター

 

そこには思いもよらない歴史的背景がありました。

 

■第二次世界大戦後、日本はGHQダグラス・マッカーサーからアメリカへの牡蠣輸出の指令を下されていた

クマモト・オイスター種牡蠣は終戦後の1946年に熊本県八代市鏡町から輸出されました。直接のきっかけとなったのはマッカーサー元帥の指令でした。

 


画像:ダグラス・マッカーサー

 

なぜそんな指令があったかというと、どうやらアメリカ国内の牡蠣は戦争の影響で乱獲が繰り返され、冷害もあって絶滅の危機に瀕する状況にあったようです。完全栄養食として栄養価が素晴らしいという牡蠣は、戦時中になるとどこでも需要が上がるものなのかもしれません。

 

ナポレオンがイギリスの牡蠣を狙ったという話の背景にも、ナポレオン自身が牡蠣好きだったことに加え、戦略として栄養価満点の牡蠣の確保という観点があったと言われています。

 

日本とフランスを結ぶ牡蠣養殖の絆の歴史!カキ愛は国境を越える
日本と同じくらい牡蠣が大好きな国フランスにおけるカキ愛の歴史と文化を踏まえ、同国で起きたかきの大被害に日本の宮城県産の真牡蠣が活躍したというお話、そして2011年3月に起きた東日本大震災で、今度はフランスが宮城のカキ養殖の復興を助けてくれたというお話について調べました。

 

もともと戦前は日本からアメリカへ牡蠣の輸出が既に行われていたことも理由でした。

そして、種牡蠣をアメリカに輸出するにあたって、日本には戦前まで生産がおこなわれていた牡蠣の2大産地、宮城県と広島県があり、検討もされたようでしたが、どちらも戦争の影響でカキ養殖を再開できる状態ではなかったようです。

 

具体的には牡蠣の養殖が盛んな三陸地域に対する砲撃、空襲が行われていました。戦時中には岩手県釜石市にあった軍事的に欠かせない鉄鋼生産の施設である釜石製鉄所が標的となって二度にわたる艦砲射撃が製鉄所だけではなく市街地・住宅街にも行われ、

 

仙台も終戦間近の1945年7月に仙台市に対して大規模な空襲に遭い、市内の中心部は焼け野原となっていました。その時の目的も軍需工場でした。

 


画像:仙台空襲

 

また、もう一つの牡蠣の生産地であった広島に関しては1945年8月6日の原子力爆弾「リトルボーイ」の投下によります。人類史上初の年に対する核攻撃でした。

 


2019年8月撮影

 

そうした過酷な背景から、2大生産地の宮城広島はとても牡蠣の養殖を再開できる状態にはありませんでした。

 

■熊本県のシカメガキが輸出用の種牡蠣として選ばれた理由

二大牡蠣生産地である宮城と広島が輸出できる状況になかったという事で、白羽の矢が立ったのが牡蠣生産がおこなわれていた熊本県でした。

鏡町、竜北町、小川町、松橋町、不知火町の漁業者で「熊本県種牡蠣漁業協同組合」が結成され、その指導に当たる「輸出種牡蠣指導所」が新設されました。

 


画像:シカメガキ

 

当時、輸出種牡蠣指導所の職員で海苔や牡蠣について研究をしていた太田芙桑男(おおたふさお)さんが熊本県からの種牡蠣の輸出指導を任命され、サンフランシスコなどの西海岸へ種牡蠣の輸出が行われたのだそうです。

 

「熊本産マガキ、スミノエガキ共に生長が良く、米国のオリンピアガキ、イースタンガキの代用として注目されている。」

引用元:クマモトオイスターのお話

 

最初は「真牡蠣」の輸出が主に行われたそうでした。ところが、肉厚で大きく成長する真牡蠣は、アメリカではあまり人気がなかったという経緯があり、真牡蠣よりも小ぶりなサイズの牡蠣で熊本に自生していたシカメガキの輸出を太田芙桑男さんが提案し、輸出を始めてみたところ、小ぶりでクリーミーな味わいが広がるシカメガキはアメリカ人に大変好評だったことで大成功をおさめます。

 

熊本から送られた種牡蠣は現地で養殖を繰り返され、現在でもワシントン州沿岸を中心とした地域でkumamotoネームで養殖されており、国際的な牡蠣ブランドとしてその地位を確立しました。

 


画像:クマモトオイスター

 

 

小ぶりでいくつでも食べられそうです♪

 

■熊本県のシカメガキ生産が衰退した理由と近年の養殖再開

日本では最初にアメリカに種牡蠣を輸出して以降、1958年(昭和33年)に輸出終了するまで約12.3年ほどシカメガキの輸出用生産が行われていましたが、輸出のシカメガキ生産は利益が薄かったため、次第に生産者が海苔の生産へ移行していったことから熊本でのシカメガキの生産は衰退してしまうという歴史をたどります。

 

日本では真牡蠣が流通の中心だったことも理由かもしれません。

 

そして、のちにアメリカで高級ブランド牡蠣となったクマモトオイスターが日本へ逆輸入されるというちょっと不思議な現象が起こりました。

 

現在では改めて日本での養殖生産が2005年(平成17年)頃よりすすんでいます。今度は日本産のクマモトオイスターが世界で注目を浴びるようになるかもしれません。

 

試験出荷まで8年
かかった渾身の作!

 

フランスで人気の緑牡蠣クレールオイスター)と同じように、小ぶりで一口で口に収まるサイズの、形の揃った牡蠣がアメリカ、中国、香港でも人気のようだという事にちょっとカルチャーショックを受けたカキコがお送りしました(笑)

 

国際基準を意識したカキの養殖が国内で広がっている印象がいたします。

 

日本の牡蠣が世界へ挑む!

 

それではまたお会いしましょう♪

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