岩カキコの牡蠣殻財テク再開。先人の助言と貝塚のための資産運用

牡蠣殻財テク貝塚構想

■郵便貯金に預けて年8%利息が付く時代はもう来ない

2021年、資本主義経済崩壊の最終段階に差し掛かっている…とみられる現在、岩カキコのような一般ピーポー並びにシングルマザーにとって、これからの時代に自分たちがこれまで築いてきたささやかな財をどのように死守するか、ここからの生計をどのように立てていくかは母子存続のためのとても大きな課題です。

 

ムスメの岩ノリコがちょうど先日高校進学がようやく決まってヤレヤレだったのですが、うっかり私立受験にしてしまったために(一応初動では理由があった)入学時に支払う金銭の合計がなんと80万円を超える惨状となりました。(学費含まず)

 

 

上記入学の初期費用に加え、3年間の学費と維持費等、現段階で判明している全費用と、定期代、お小遣いを合算したところ、私のそろばん上では331万5000円という数字が出ました。これに年間3度の4泊の合宿旅行やコロナであるか分かりませんが海外研修、部活代、毎日のお昼代などを加えたら、どの程度までに膨らんでしまうのか…本当に正直お先真っ暗になります。

 

ムスメは大学も行くんでしょうか!

 

さほど所得がないので、学費に関しては私学の助成など今後受けられる予定ではありますが、ちょっとシングルマザー世帯としてはあまりにもな状況を迎えています。(たぶん身から出た錆ではあります)全然高校無償化じゃないしw

 

あちこちから情報を集めて、それでもいくらかの出費に対する助成も受けられたので、おいおいそれはそれでまとめていきたいと思います。

で。

今の子育て世代は、とにかく夫婦ともどもほぼ孤闘で遮二無二働いて、それでも日々の生活を回すのにやっと、、、家族らしい時間すら満喫できないという感じで「サザエさんの家族が富裕層に見える」ようになってから久しいわけですが、

 

なんでこれだけ「日常維持のために必要なエネルギー」が世代でここまで違うのかなとか、なんかひとつのことを話しても全然上の世代と特に金銭感覚の感じが噛み合わない感じがするのかな?と長年私なんかは心の中でモヤっとしてたわけですけれども、調べてみるとやっぱり背景がかなり違っていました。

 

私のおじいちゃんおばあちゃん世代はもちろん、私の両親である団塊世代の人々が資産をつくってきた時代と、我々のような日本が右肩下がりの経済になっていく時代に働き盛りを迎えた年代ではだいぶ資産形成や運用の背景が違います。人口もその背景にくっついてきたようなことになっています。

 

なにせ、昭和55年の郵便貯金では定額貯金で8%という利率がついていたらしく、10年固定金利の半年複利の利用者は稼いだお金をそのまままるっと郵便貯金に入れておけば、現在の都内の不動産賃貸収入などをはるかに上回る利率でがんがん資産を運用できていたことになるのです。

 

しかも元本保証で。

 

天国か~(笑)
でも、貯金万歳文化も元をたどると戦費捻出のための国策から始まっていたようです。
本当に1時代1時代、過酷な現実と、気づかない恵みというものが共存しているものなんだなあと感じます。

 

数字のことはあんまり得意ではないので、これは引用になりますが、当時の郵便貯金シュミレーションでは10年で税引き後でも2.2倍になる試算となっています。

 


画像:なつかしの定額貯金、年8%で10年で2倍(10年固定金利)より

 

そら、お金たまるよねw

 

ウヒョーでございます。

こんな話を知るとですね、やはり、先人や直系尊属の意見を尊重するのも大事ですが、一つ一つの時代で背景が全く異なりますから、先人の助言だからと言って全てが正解でとは限らないという事に気が付きます。

 

私たちは彼らの言う「助言」が時代を経ても変わらない普遍的なもの、つまりは今も通用する概念なのかどうかを目の前の現実に対して自分自身でしっかり最終判断を下して選ぶという事が必要になってきます。

 

でも、先人はいつもみんな自分よりも経験豊富な「大人」であることで、私たちは小さい頃に言われた数々の「助言」の精査を行わずにすべてを丸のみしてしまうという罠にはまります。

 

この罠には自分も一定の精神的自立や経験、その上での判断能力を身に着けたところである日、はたと気づくわけですが、時すでに遅し、のようなところも私の人生にはたくさんあったので、正直、出来ることはというと事後処理、つまりは解釈の変更だと思います。

 

私が下した解釈の変更としては、過去は忘れて今度は自分が誰かの「先人」となる場面に集中する事。「この考えが次世代にも通用する概念なのかどうか」に気を配って投げる丁寧さが大事だなと思うようになりました。

 

 

子どもたちは真っすぐひたむきに親の気持ちに添いたいという本能を強く持っている生き物でもありますから、親ならなおさら影響力は考えているよりも大きくなります。

 

結局のところ、団塊世代の親の概念が全然通用しないことを、いちいち全部なぞって無駄な苦悩と苦労を経験してきたのが団塊ジュニア世代だった気もするのですけれども、

そこには「子どもに幸せな人生を送って欲しい」という純粋な親心からそもそも始まっていることを認識するとすれば、恨み辛みをいつまでも持って、繰り返しもうどうにもならない事へ疲弊している場合ではないことに気づくのではないかと思います。

 

もし仮に、そうした体験があるのだとすれば、それを我が子や下の世代に繰り返さないための知恵を授かったと思って、その貴重な体験から産み出た特別な宿命を果たすだけだと思います。また、受け渡された数々の雑多な情報の中には砂金のような普遍的な知恵もいくらかは混じっているものです。

 

今の時代を生きる自分について恵まれていると思うか、恵まれていないと思うかは本人次第ともいえそうです。

 

■団塊世代・有名大学卒にも関わらず会社員に「ならなかった」父親の憂い

私の金銭感覚の基礎は商売人だった両親に形成されたものなので、少し両親の話をしたいと思います。

私の父親は団塊世代に比較的難関と言われる大学を卒業した男性であったにもかかわらず、家の次男である為に宿命として父親の母方の小さな個人事業を継いだという経歴を持っています。

 

 

父の心の中には、「大卒で会社勤めさえしていれば、日本を代表する大手企業の重役になれていたはずの時代」でもあったので、60歳前後になるまではそのような重役となって活躍する実の兄や友人たちに対し、若干の引け目を感じていたような節もありました。(娘の目線)

 

自分で事業を経営しながらも、持てたはずの「社会的肩書」や「男としてのプライド」のようなものを諦めたと言うような若年期の決断と挫折のようなものがあったという事だと思います。

個人事業主として吐血するような気分で格闘した私からすれば、店舗も初めから利益のでる商売もまるっとタダで引き受けられたなんて、どう考えても贅沢だとしか言いようがないのですが、父としてはそういう気持ちを持てるまでには時代の変化と年齢を重ねることが必要だったとみられます。

 

ですから、バブル前くらいの頃の父には実の兄や友人たちとの間にできた「社会的格差」のようなモノに対して、劣等感のような感情もあったようなフシがありました。

 

 

なぜなら、その頃の父は若かったこともあって、とにかく日々とても怒りやすく、

おてんばで邪々馬娘だった私は、冗談じゃなくて毎日毎晩厳しく叱られ続けていたからです。今思い出しても、なぜ叱られたのか分からないような問題もそこにはありました。それこそ、昭和の教育で、女の子であっても毎日のように問答無用に平手打ちされて教育された感じです。

 

私は自分はいい子だと思うのに、どうして毎日毎日叩かれるのか分からなくて、かなり幼少期からそのことを毎晩星や神様に問いかけるという(笑)ちょっとスピッた幼少時代を過ごしています。

(のちに平成になってから我が家には弟が突然誕生するのですが、その頃には経済的な問題をほぼクリアしていた父は、弟には全く手を出すことがなく、よって弟は私とは異なり、非常に穏やかな精神の子どもに育ちました。)

 

この時代のことは、おいおい私が大人になってから小さくない精神的な問題を引き起こすことに繋がるわけですが、それを考えてもやっぱり子育てしている親世代が出来るだけ安心できる精神状態で子育てを出来ることというのは、子どもたちやその世代が担う未来にとって何よりも大切なことだと身をもって感じます。

 

今の時代(2021年現在)は親世代の多くがより大きな解消されない不安を長く抱えて生きていると感じるので、そこで幼少期を過ごしている子供たちが小さな胸の中で抱えているものの大きさを私たちは意識する必要はあると思います。子供たちが胸に抱えているものは通常、大人の私たちにすぐに見える程には表面化してこないということも書いておきたいと思います。それが噴き出し、膿んでくるのはもっとずっと未来のことになります。

 

 

私の父の話に戻すと、60歳を過ぎた頃になって、ようやく会社員として生きていたとしたら?という仮定よりもより多くの(色々な意味での)資産を自分が残したことに気づいたようでした。娘の私から見た最も重要な資産は以下です。

 

家族で毎日かかさず夕飯を囲んできたという資産(家族の信頼と思い出)
自営業で妻と共闘してきたという資産(妻との精神的繋がり・信頼関係)
健康を保持してきた資産(食生活・運動を妻に支えて貰えた)
金銭感覚を養った資産(事業主として経済の動きに敏感だった)
健全な老後を過ごすための資産を形成できた(不労所得の形成)

 

正直、これ以上ないくらいの十分な富ではないか、と団塊ジュニア世代の私から見ると思うのですけれども、それでもやはりなんというか、働き盛りに「社会的地位」という勲章を手にすることが出来なかったことの大きさは、男性である父にとってはとても大きかったようだという事も今でも同時に感じます。

 

女性である私にはよく分からないところで、男性の闘いとか存続意義のようなものへの葛藤は繰り広げられているようだと元夫や父を思うと感性としての性差を感じます。

 

でもきっとこれはバカバカしいと切り捨ているのではなくて、女性としても寄り添ってあげなければならないところなのかもしれなかったなと、今となっては少しだけ思います。

 

よく、もし世界が女性だけだったら戦争なんて起こらないなんていう話がしばしば母親たちの中では出てくるわけですが、なんというか男性の本質に寄り添おうとしていない感じの建設的でない仮説だと、私は40歳を超えてようやくですが思うようになってきました。

 

私の存続意義が、ムスメの健やかな成長に支えられていることを感じる時、私にムスメがいなかったらという事を考えると、この生命の根無し草感に消耗すると思ったからです。まあそれは私という女性の未熟さでもあり、今後の一つの大きな課題でもあります。

 

■学資保険・積み立てNISA・iDeCoに手を出さないのは父の教え。

父の話と前提がこれでもかというほど長くなってしまいました(笑)

本題に戻ると、私はそんな背景を持った小さな法人の事業主である父の元で育ち、父の金銭感覚を小さなころから厳しく植え付けられて育ちました。

 

 

質素倹約。

基本的にはコレをいつも最も大事なこととして教えられ続けてきたのですけれども、正直、私が小中学生の時には外車やクラウンレベルの新車の国産車を保有して煌びやかなマンションに住む同級生やいとこの家の生活が羨ましくて仕方ありませんでした。

 

うちの父はというと、それらの車種を買う事は出来ても、決して新車で購入しようという気持ちを持たない人でした。私が覚えている限り、新車で自家用車を購入したことはほぼなくて、毎回新しい車も中古車でした。都内で1棟マンション賃貸運営複数している今でもそれは同じです。

 

育ててきてもらったのに本当に申し訳ない話ですが、父のことは
質素倹約という名のケチ!だとずっと思っていました。父が幸運だったのは、妻にした女性である私の母も、その政策に同意することが出来る女性であったという事だと思います。雪国の農家育ちの母は、父以上に質素倹約を趣味にしているような女性でした。

 

 

どんなに収入が上がっても、
生活レベルをあげてはいけない。

 

これが、質素倹約の次の家訓でした。

 

そんな両親ですから、「毎月、決まった額を引き出すことのない口座へ貯金しろ」ですとか、とにかく口を酸っぱくして「どんな時も収入から余剰資金を必ず捻出すること」について強く言われてきました。

 

そういう教育があったからかどうかは分かりませんが、私自身は社会人になってからさほど高収入になったことがありませんが、環境の恵みもあって、生活に困ったことは今のところありません。

 

父に関しても、チラホラ女性の影は時代時代に見えたものの、家庭を守る戦略としての質素倹約は現在に至るまで継続され、今では出戻りの娘孫(岩カキコノリコのこと)の再起不能の危機も救うことが出来ました。

 

 

■学資保険に入ってはならないという父親の話

父は商売人だったので、日々の夕飯を一緒に囲む傍ら、日常の物事の話から父の持つ「金銭に対する考え」は私の中に自動的に入ってきており、私はその殆どを認識していたつもりでした。

ところが私が結婚して、子どもが生まれるとなった時に、父親に「ムスメのために学資保険に入ろうかと思うんだ」という話を特に目的はなく話したところ、あからさまに説教をされるという珍事件がありました(笑)

 

当時の私は20代後半で、ようやく色々な痛い目に遭って、自分の「無知の病」に気づき始めて間もない時期だったわけですが、なぜ、こんな堅実な計画に説教をされるのか正直びっくりだった、というのを記憶しています。

 

けれども内容を聞くと、非常に納得のいく話でした。

 

私たち団塊ジュニア世代というのは、「はじめのことば」にも書いたようにかなり激動の時代を生きてはいましたが、同時に他に類を見ないほど物価やお金の価値が変わっていることを感じない時代に生きた世代でもありました。

 

そら、みたらし団子が小学校の頃は甘味処で45円で売っていたのが今は30年以上かけて100円になっているとか、その程度の変化は当然ありましたが、団塊世代はもっともっとすごい急激なお金の価値の変動を体験しています。

 

まず、「銭」という単位が日本で消えたのが1953年ですから、団塊世代はギリ生きている間に「銭」という単位が存在していたことになります。

 

また、団塊世代の幼少期、「100円札」は大金だったそうです。(ちなみに100円札があったのは昭和30年頃まで)

 

父の昔語りでは、給料が一気に倍々に増えた時期というのが若い時代にあったそうです。このエピソードの裏を取るために少し調べてみると、こんな話がありました。

 

昭和時代の小学校教諭の初任給は、初期は50円程度と大正時代とあまり変化がありません。しかし、1959年(昭和34年)以降では初任給として2万円近くをもらっており、昭和時代の中でお金の価値に大きな変化が生まれたことがわかります。初任給が2万円であったときの1円の価値は、10円ほどです。

引用元:三菱UFJ信託銀行

 

明治、大正、昭和の前半にはお金の価値は大きく変動していました。
ざっくりですが

 

明治時代の「1円」=今の2万円
大正時代の「1円」=今の4000円
昭和時代(前半)「1円」=今の636円(昭和2年の物価指数より)
昭和時代(後半)の「1円」=今の10円(昭和34年経論初任給より)

 


画像:楽天オークション

 

この情報からも、団塊ジュニア世代よりも上の世代は、お金の価値が急激に変動する時代というものを実体験していることになります。バブル経済時にも社会人ではなく、さらに永遠のデフレ状態を社会人として生きた団塊ジュニア世代は、「お金の価値の変動に最も疎い世代」とも言えそうです。

 

一方、お金の価値変動を実体験している父親は、その上の世代からも「積み立て保障のようなタイプの運用」について「最もやっていはいけないタイプの資産運用」だという事をかなり強く学ばされてきていたようでした。

なぜなら、300万円が返ってくると事前に保障されていたとしても、その300万円の価値が満期には10分の1とか100分の1とかという具合に保障の意味を失わされるほどその力を失っている可能性があるからです。

 

デフレ時代しか
大人として生きていない
団塊ジュニアには
なかなか想像できない発想だと思いましたw

 

びっくりよ!

 

■同じことは積み立てNISA・iDeCoにもいえること

チョットタイプは異なりますが、発展版として最近youtubeで大発展を遂げてシンガポールへ移住されたNさんの動画を見た方々が、その影響で積み立てNISA・iDeCoを始めるという社会現象が国内で起きていると聞きました。

Nさんはその道の専門家である先人の知恵を紹介している動画として構成していました。

 

正直、これってちょっと危ないんじゃないかと私は即座に感じることが出来ました。特に、2021年現在、日経平均はバブル時代以来30年ぶりに3万円を突破して、史上最高値を更新しています。特に、今回の史上最高根更新の株高は「実体経済」を伴わない狂気相場とまで言われていて、簡単に言うと景気悪いっぽいのに「いちばん高い時期」です。

 

こんな時期にそれでも積み立てですからコツコツコツコツ買わされて、そのうち予想通りの大暴落が起き、その後も仕切り直してまた順調に右肩上がりのグラフに戻ればいいですが、もしそれが右肩下がりのグラフだったら?と考えると、積み立てれば積み立てるほどに資産は目減りするプランになるという事です。

 

右肩上がりには通用する運用でしょうが、いまこれでもかというほど日本もアメリカも紙幣を擦りまくって、毎日毎日お金の価値は目減りしている中で、国家やその国の経済って、本当にこれまでの常識やそれこそ「先人の助言」が通用するのか??

甚だ疑問です。

 

まあ、でも岩カキコはお金の専門家では一切ないので、これは将来楽しみに振り返る記事として残しておこうと思います。

 

ちゅうわけで、2021年2月からは岩カキコはささやかな財産を別の方法で運用していくことを決めました。岩ノリコの学費と我々親子の生活費、牡蠣を余生で食べまくり貝塚をつくってやるくらいの気持ちで挑みます。

また、子育て上で出てきた金銭にまつわる情報なども適宜公開していきたいと思います。

 

具体的な内容はまた次回以降に。

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