■「岩牡蠣を自宅で食す!」夢の時代を実現したクロネコヤマトのクール宅急便についてカキ好きを代表し、敬意を込めて調べてみた
今回は、「岩牡蠣を自宅で美味しく食べる」という夢のような未来を実現した、クロネコヤマトクール宅急便の歴史について、岩カキコが感謝と敬意をこめて、独自の目線で調べてみました。
というかですね、クール宅急便の実現は、岩牡蠣産地から遠い東京に住む岩カキコのような人々にとって、新宿の東西通路貫通達成なみの長年の悲願であったに違いありません。
そしてクール宅急便こそ「牡蠣が通年楽しめる食材である」ことをじわりと認知させ、今まで産地周辺以外では影の薄かった夏牡蠣の地位を確固たるものとして確立させた立役者とも言えるのではないでしょうか?
さらに、クール宅急便の実現は、牡蠣好き人種の移住先の自由も実現しました。今月私は沖縄へ行く予定なのですが、どうやら沖縄の地でなんと「生牡蠣」が食べられるらしいのです。
東京の冬の気温にちょっとした悲壮感を毎年抱く体質の岩カキコにとって、これはまさにカルチャーショックともいうべき事実でもありました。我が国ニッポンは本当に人々の幸福実現のために日進月歩でその文明を進化させてきたのだと痛感致します。
■クロネコヤマトの歴史は1919年から。創業100周年を超えた日本を代表する企業へ。宅急便の誕生に企業の大ピンチがあった!
なんと、調べてみたところ、クロネコヤマトの宅急便の誕生は1976年という事で、「団塊ジュニア世代」である岩カキコと同じ時代をここまで生きてきたことが分かりました。
宅急便とキティちゃん、徹子の部屋、アップルコンピューター、どん兵衛とほぼ同世代です
元々は創業者である小倉康臣さんが前身として1919年より事業を営んでおり、関東大震災の翌年(1924年)から引越荷や婚礼荷の運送を行っていたようです。
宅急便という新商品を生み出したのは創業者・小倉康臣さんの次男である小倉昌男さんでした。今でこそ当たり前のサービスとして生活に定着していますが、その商品開発の背景には、長距離輸送進出で他社に後れをとり、さらに1973年に起こったオイルショックによる荷物の激減という会社の大ピンチがありました。
画像:ヤマトホールディングス
その会社の窮地を救ったのが今では日本人で知らない人はいない「クロネコヤマトの宅急便」だったのです。
それが
消費者物流の大革命に!
■クロネコヤマトのクール宅急便(3温度帯配送)が全国展開を開始したのが1988年7月。
そして、小倉昌男さんは宅急便の誕生から12年後にあたる1988年(昭和63年)に今回の主題である「クール宅急便」も誕生させています。
カキコがまだ6年生でプールで真っ黒という頃に大革命は起きていました!
荷物は一日中暑さの中であえいでいる。
荷物にも涼しい思いをさせてやれないものだろうか引用元:小倉昌男著「経営学」
別の話によると「生モノを送りたい」というおばあちゃんとの出会いもあったようです。
画像:がっちりマンデー
プロジェクト自体は、この小倉昌男さんの一言をきっかけに1984年から始まっていて、そこから
・「冷凍(フローズン)」-15度以下
・「冷蔵(チルド)」5度~-5度
・「常温(ドライ)」10~15℃(または20℃)
の3温度帯の冷蔵庫を集配車・運行車・営業所という荷物が経由する全ての箇所に設置するという革新的なチャレンジだったそうです。
当時の配達姿も
なかなか斬新!(笑)
クール宅急便のプロジェクトには当時のお金で開発見積り費用が300億円、3年もの開発期間を経て、150億円の設備投資をし、ようやく1988年に始動したのだそうです。
開発期間に3年という年月が必要だった理由として、「走る冷蔵庫自動車」の電源確保という課題、それをクリアするために開発されたクール宅急便用の蓄冷材の開発がありました。
このクール宅急便のスタートが日本全国の「海の幸・山の幸・故郷の味」を手軽に消費者の居住地へ送り届けることを実現させました。またそれは同時に、全国各地の過疎化する地場産業にも貢献することとなりました。
■クロネコヤマトのクール宅急便がもたらした日本の食文化の大革命
こうして始まったクール宅急便ですが、消費者としてカキコのようにぼんやりと暮らしている一般庶民からすると、何となくいつからともなく始まって、いつの間にかそれも当たり前になってしまったサービスとして日本では認識されている気がします。
けれども、このサービスの開始は日本に劇的な文化大革命をもたらしていました。社会の流れを変え、新しい市場を次々に生み出すことに貢献したサービスとなっていたのです。
クール宅急便というサービスが開始するまでの日本では、特にナマモノである魚や魚介類といった食品類は、どんなに美味しいものを追求して作り上げたとしても、結局、東京のような大消費地へ届けるには味や風味が落ちることを覚悟して、冷凍状態で輸送するという選択肢しかありませんでした。
ですから、食材の本来の味を楽しむには、その食材が採れる生産地や漁港へ足を運んで食べることでしか実現することが出来なかったわけです。それは魚介類だけでなく、同じく生鮮食品の野菜や果物、切り花、スイーツなどの生菓子類に至るまで同じことが言えました。
生産者側も、そこまでの時代には「お客様は足を運んでくれる人」という限界があったという事になります。
それが、クール宅急便サービスの開始によって、取引相手が一気に日本全国規模へ広がっていったのです。そりゃもう、大革命です。
日本の食文化の大革命でもありました。
生鮮品を、新鮮なまま、どこにでも気軽にローコストで届けられる――。こうした小口配送便は世界でも類を見ません。(省略)クール宅急便が提供するのは、単なる温度帯サービスだけではありません。新しい食文化もふくめて、なのです。
引用元:What’s 宅急便 What’s ヤマトグループ
ビルと人と木枯らしのような殺伐とした心象風景しか浮かばない東京で、日本全国の美味しいお取り寄せ食材がどこでも食べられるようになったのは、東京が首都だからでもエライからでもなく、クール宅急便がもたらしてくれた富だったわけです。
そのサービスの誕生によって、今まで届けることのできなかった四季折々の地域の美味しい食材を全国の飲食店や日本中の家庭の食卓に新鮮なまま並べることが可能となったのでした。
■クロネコヤマトの宅急便が海外で国際展開を開始!
2019年9月までにクロネコヤマトは24の国々と地域、そしてなんと80都市にネットワークを構築し、展開しているそうです。
宅急便サービスがスタートしているのはそのうち、上海、香港、韓国、台湾、ベトナム、ミャンマー、タイ、マレーシア、シンガポールといった近隣国です。(2019年9月の資料より)
日本以外の諸外国でもクール宅急便のサービスが開始され、さらには提携する国の海外の方々に対して「日本の新鮮な食材」を輸送することが可能となりました。
■2013年 世界初!クロネコヤマト国際クール宅急便の誕生
さらに、2013年からは世界初のクール宅急便サービスもスタートしていました!2013年に国際間の小口保冷輸送サービス「国際クール宅急便」を香港向けにスタートしています。
2年後の2015年には台湾、およびシンガポール向けにサービスを拡充し、日本の旬な食材を新鮮なまま、アジアへ届けることが出来るサービスとして注目されるようになりました。
BSIからの審査を受け、小口保冷配送サービスに関する国際規格PAS 1018の認証を取得
引用元:2019年9月資料
画像:2019年9月資料
なお、PAS 1018とは、小口保冷配送サービスのうち、荷物の積み替えを伴う輸送形態を対象とする国際規格で、ヤマトホールディングスを始め、日本国内の保冷宅配便サービスを扱う事業者、海外の業界団体等の組織も参画し2017年2月28日に策定された。
引用元:Lnews
現在では中国、上海、マレーシアも加えた8地域でサービスを展開しています。(2019年資料より)
おもてなしの国、日本
ならではのサービスがアジアの食文化で大活躍!
画像:クロネコヤマト
これによって、生産地の食材を欲しいと思うお客様がさらに日本全域から海外へ拡大するという革命を起こしつつあります。
そのうち、昨今のロケット事業の発展によって、クロネコロケットクール便などが出て来て、ヨーロッパ諸国にも岩牡蠣が翌日に届く未来が実現するのかもしれませんね(笑)
夢のような未来であります!
あとは日本の食文化が世界から注目されるのはいいのですが、一般庶民の岩カキコがですね、いつまでも世界一美味しい日本の岩牡蠣が食べられますようにという事なのであります。。。
こればっかりは祈るしかありません。
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