第1話『生ガキに溺れて生きる。』はじめのことば

岩カキコのエッセイ

■『生ガキに溺れて生きる。』サイト立ち上げ

ようやく最初の1ページ目を書くことにたどり着くことが出来ました。当サイト管理人の岩カキコです。はじめまして。

コチラのサイトの立ち上げに至るまでに色々な出来事がありました。

それはまあ、またいずれそういうモチベーションの時に書くことにして、2020年の世界的なコロナウィルスの大流行をもって、いよいよ団塊ジュニア世代としては、この資本主義経済が崩壊していくスタート時期から今日までをモロに体験してきた世代として、やっぱり自分がこの時代に生まれてきた意味や役割を改めて考えたりするのです。

 

ほら、「人間は全てを誕生前に自分で選んで生れ落ちてきた」なんて言うじゃないですか。

 

正直、ここまでの時代までは

おい、まぢで、選んでねーし。。。

 

という気持ちになることばかりでした。そのたびに、イチイチ死神が枕元に立っているような気分と言いましょうか、本当に死の淵を何度もさまよったなと感じています。

 

でも、今思えばですが、私にはいつも「生ガキ」がいた。

 

「生ガキ」の溢れんばかりの豊かさと美味しさに、どんなにツライ現実も吹き飛ばしてしまうようなエネルギーを分けて貰ってきていたのだと気づきます。

 

■氷河期団塊ジュニア世代の新卒エピソード

凄く私たち世代を象徴するような出来事だったな、とつくづく思うエピソードがいくつか私にはあります。

 

 

4年制大学を卒業してそれも、かく言う「氷河期世代」でしたから、それなりに未来が不穏な感じでの社会人入りだったのですけれども、

 

入社した広告会社で、私は幹部上司に「君たちは年金払っても確実に貰えない世代」と高笑いされてました。まずちゃんと認識しておきたいのは、私たち世代というのは最初からそんなことを上の世代から言われながらですね、それでもどうにもならないという事で、血銭である給料から天引きで年金を払い始めた世代なのです。それはそれは、絶望世代らしい話であります。

 

ココに見えてくるのは、この世代の特徴として元々ある「お人よし気質」というところであります。この特徴はここまで直近20年間には多く痛みを伴う経験となって還ってきたわけですが、ココからの時代は違うのかなと私個人的には思うので、良くも悪くも、だと思っています。

 

それで話を戻すと、その後私はその嘲笑幹部から、とある提案をされます。

 

「どうせ貰えないのだから、厚生年金外れたら?」

 

当時の私は末期の「無知の病」だったので、厚生年金から外れることを言われるがまま、すんなり選びました。親や教育機関に守られながら生きてきた影響だったのか知りませんが「人類はみんないい人」だと信じて育てられてきたからというのもあります。

 

昭和って、今では考えられないくらい都心部でも人はまだ助け合って生きていました。それに、「自分のもの、自分の権利」なんて今みたいに皆が大きく主張することもなく、なんというか子供もたくさん居たこともあって、「お互い様」という雰囲気で人々が助け合って育てているようなところがありました。

 

私は当時1人っ子で、両親共働きでしたから、毎日のように近所の小料理屋さんのおばさんの所にガチャ!と勝手に玄関を開けて入り込み、お店が開く時間までペチャクチャおしゃべりして帰るというのが日課でした(笑)

 

 

今思うとメチャクチャ迷惑な子だよなあという感じですがw
当時は普通の日常でした。

 

また脱線してしまいましたw

 

結局、その嘲笑幹部の提案にあった「真意」を知ることになったのは、なんと30歳を目前にした頃で、それもどうかと思うのですが(苦笑)、

提案通り厚生年金から外れて間もなく、その会社は給与遅配となり、大多数の社員が一斉に退社、私もそれから少し経ってやっぱり辞めることになりました。入社からそこまで確かほんの半年程度だったと記憶しています。

 

その後、その会社は程なくして消えました。嘲笑幹部の提案の意味はつまり「そういう事」だったのです。厚生年金の半分は雇用主側が支払わなくてはならないからです。

 

ほろ苦い新卒エピソードですね。

 

そういうわけで、私の社会人最初の大きな経験が、入社した会社が数か月で破綻するという事でした。今思うと、本当にそこから始まる20年を象徴するようなスタートだったなと感じて、なんか変な感動すら覚えます。

 

■2000年代 新卒入社の会社を数か月で退職した自分

2000年代はまだまだ『地の時代』、つまり物質や権威性、学歴のような札が何よりも重宝されるという社会の色は今よりもずっと強くて、会社を退職、転職するなどそれこそ「何か欠陥のある人間」だと思われるような時代でした。

 

 

新卒から会社を数か月で退職した私には、最初こそ避けられない退社だったという気持ちでいましたが、また改めて素手で就職氷河期に履歴書を書きなおさなければならなくなった時、「自分はダメな人間なのかもしれない」という思いがよぎりました。

 

それだけでなく営業職をやっていたものですから、自分の営業したお客さんのその後が気になり、心配でますます「自分は罪な人間だ」と思いました。

 

幸い、お客様の契約は、破綻した私の在籍していた会社との間のものではなく、親会社(上場企業)との契約だったので、今考えればお客様は契約通りのサービスは継続して受けられただろうと思うのですが、当時の私にとっては、私という人間を信じて契約してくださった人達の想いがそこにあると思うと、まるで犯罪に加担してしまった罪人のような気持ちでした。

 

同時期に社会では2000年に起きた某大手企業の集団食中毒事件と2002年に起きた牛肉産地偽装事件、のちに公益通報者保護法施行(2006年)のきっかけをつくったミート●ープの食肉偽装事件などが起こっていました。

 

 

「もし当時に戻れたら告発などしない」と後悔を滲ませた。「内部告発は本人の身を滅ぼす。見て見ぬふりをすることになるが、嫌なら黙って辞めればいい。世のため人のためと言えど、自分の身を守れなかったら意味がない。」「告発したことで躁うつ病になり、親族や知人が離れていった。名前がマスコミに出たことで兄弟にも迷惑をかけた」と語った。

引用元:Wikipedia

 

企業利益のために真面目に働いてきた従業員が企業の罪に巻き込まれる構図をみて、とても他人事とは思えない気持ちがしたのを記憶しています。

 

そして、そこで告発した勇敢な正義感のある人々が自分の中の正義を通すために多くのものを犠牲にした姿も見ることになりました。

 

一方で、私の両親は商売人でしたから、ミート●ープの事件で社長が述べたとされる言葉も同情するわけではないですが、心に突き刺さりました。

 

「半額セールで喜ぶ消費者にも問題がある」「取引先が値上げ交渉に応じないので取引の継続を選んだ(コストダウンのため異物を混入させた)」

引用元:Wikipedia

 

私の父はよく「モノには正当な価格を支払わなければいけない」という事を小さな頃から私に言って聞かせていました。

 

この世界で「いい生き方」を選ぶのは本当にむずかしい。

 

そんなことをつくづく思った時代でもありました。学生時代に夢を持って自分の世界観を広げていたはずだった私が、最初にコケたのはこの辺りの数年間ではなかったかと記憶しています。でもこんなものはそこから続く苦悩の20年の序章に過ぎませんでした。

 

ココに今更談を追記するとすれば、その数々の「苦悩」は2021年までに迎えることになった時代シフトのタイミングに向け、先取りで「準備運動」をしておくためのものだったんだなと感じます。

 

新卒で順風満帆に大企業に入社して、安泰の人生がもし序盤から私にあったとすれば、おそらく今の時代に至るまでのどこかのタイミングで、私はその時代の変化の厳しさに耐えられず、命を落としていたのではないかと思うのです。

 

ふと数々の困難を振り返ると、現在まで生き永らえるために、ちょっとずつ、ちょっとずつ、本当に限界の数ミリ手前のようなスン止めの課題がいつも私には与えられ、それをクリア(?)していく毎に、私の中には心の筋力と、「慈しみフォルダ」の中身が増えていき、色々な状況下での耐性や、自分の芯との向き合い方、感情の消化の仕方など、あらゆる自浄スキルを学んでいった気がしています。

 

同時に、無常との付き合い方も学びました。

 

滅びゆくものの姿や明日はない刹那的な美に対して、胸を震わせるほどの価値を感じるのは日本人特有の美意識です。ポジティブ万歳もいいですが、カキコ「もののあはれ」を感知できる日本人として死にたいと思います。

 

若い頃手にしたそうしたスキルは、お金にならんスキルばかりでしたが、お金を払ってもすぐに身に着くようなスキルでもないので、20年モノの財産だと今は感じています。

 

そして、困難の中にいるいつの日にも、今思えば私にはすぐそばには変わらず「生ガキ」があったのでした。

 

■まあ、とにかく死にたくなるような出来事ばかりでしたよ。

私の人生の困難ばかり嘆いても仕方がないですし、その後のことは今日は書きません。でもとにかく、イチイチ本当に毎回毎回「今回こそ私は人生を諦めるかもしれない。」という場面に何度も遭遇していました。毎回それがホントに、正気ではないかもしれませんが本気だったんですね。

 

 

心底、アレコレ多岐にわたるジャンルで絶望を繰り返してきました。20年の中でも特に離婚後のシングルマザー100本ノック時代である、この10年はメチャクチャ大変でした。

ある程度、成熟し始めてからは、

「こんな可能性と選択肢に恵まれた国に生まれてきて、本当に幸運そのものであるにもかかわらず、すぐ死にたくなるなんて、ひとえに私の圧倒的な無知と感謝不足、頭の悪さが引き起こしているビョーキに違いない」とも思いましたが、

 

今思うに、この20年は戦争はなくとも「死闘」を少なくない人数の人々が迫られる時代だったのではないかということを、体感レベルの感想として持っています。それも今から考えると、来たる2020年、2021年以降の時代のためだったのかも(?)しれません。

 

そう思うと各世代、各世代、その世代にしか分からない時代のテーマというか課題と言いますか、そういうものが与えられていて、どの時代のどの世代が頑張っただの、どの世代が恵まれている云々ではなく、いつの日も人は懸命に生きているんだと感じます。そして各世代、その与えられたテーマを経て獲得する豊かさが存在するのだと。

 

きっと世界を一段上へ動かすために。

 

最近になって「この難解な20年」を死にもの狂いで闘い続けたのは、どうやら私だけじゃなかったようだという事にも気づきました。

 

 

ケータイ電話の登場、インターネットの登場、スマホ・SNSの登場、文明が飛躍的に進化して目まぐるしく変わっていく時代の強風を浴びて生きてきたのが団塊ジュニア世代でした。
結婚率・出産率の低下、核家族化、パワハラ、ブラック企業、ワンオペ、引き続きの就職難、年功序列崩壊、終身雇用制度崩壊、低金利+恒久的デフレ、核問題、待機児童問題、児童虐待、離婚率拡大、気候変動、災害の多発。

 

本当に団塊ジュニアに関していえば、親世代が当たり前に持っていたものを手にすることすら、本当に厳しい時代でした。そしてそれら難解な出来事が、社会問題として取り上げられるまでは問題発生序盤の時期であったことから、全く理解されないことに耐えなければならない価値観の境目に居る世代でもありました。

 

「自分のことは自分で」「人に迷惑をかけない」と厳しく教育された団塊ジュニア世代は皆、きちんと「右向け右」が出来た最後の世代でしたが、それと引き換えに手放したものの代償はとてつもなく大きく、うまくいかないのは自分の努力不足、怠慢でダメな人間だからだと信じて止まないような自己尊厳失墜の悲壮感を大人になっても背負っている人が大勢いました。

 

親の語る理想と
実際に生きる現場の乖離が物凄かった。

 

また、本当に自分が厳しい状況にあっても、施された時代の教育から、人として悪いことに思えて身内にすら「助けて」が言えず、厳しい状況を家族にも知られることなく、ひとりで耐え続ける人も多くいました。

 

そこまで頑張っても、消えることのない危機感と恐怖が永遠にこの世代に降り注いでいたかのような印象も持ちます。

 

変わらなければ振り落とされてしまう。
変わらなければ、変わらなければ。

 

東芝ルポを触ってた辺りまでの日本は、まだ「分かち合いの精神」「独特の豊かさのあるカルチャー」が土地に残っていた気がするのですが、本当に2000年を越えてからの20年は今思うと「破壊と再生」に向かう最終章に入ったという事だったのでしょうが、とても厳しい時代だったなと感じます。

 

そういうわけで、私たち世代が社会人になってからのこの国では、生きるか死ぬかの孤闘が各人に待っていました。ホントよく戦ってきたと思います。同年代の皆さんには、お互い超がんばりましたね。お疲れさまでしたと抱きしめ合って背中をバンバン叩き合って伝えたい気持ちです。(この世代の気持ちしか分からないので、主観が過ぎてすみません。)

 

■でも何かが変わったと感じた2020年。

で、2020年、2021年が明けてから

具体的に何が?という事ではありませんがやはりコレが「風の時代」が始まったという事なのか?何かとても大事な歯車の部分がカチャっとひとつ動いた感覚が私はしています。
(人間、困難が多いと、だんだんスピッた受信がうまくいくようになってくる様子)

 

あ、終わるんだな、って感じでしょうか。

 

 

そして、これも何となくですが、ココからしばらく時代を幸せな方向へに引っ張っていく大人世代がいるとすれば、それは幼少期に昭和の白熱球的な分かち合いの豊かさを体験しておきながら、ここまで悲惨の極みだった「団塊ジュニア世代」かもなと。

 

これは自分への慰めかもしれませんが、ちょっと思ったりもしています。この世代はまだギリ、変われるエネルギーがあり、変わることに対する抵抗も大きくないからです。(今までさんざん振り回されながら変化適応してきたから)

 

別にもういい年だし、長生きなんかしたいなんて思わない。

頑張っても頑張っても報われない時代を永遠過ごしてきた。だから今更、過ぎ去った20代30代が自分に返ってくるわけでもあるまいし、報われない事にも正直馴れている。そこを恨む気持ちすらもう抱くだけムダだとも知っている。

そんなチョットした出家感ある滝行済の団塊ジュニア世代

 

願わくば、生きた爪痕を残したいだけ。
生きることを諦めなかった自分なりの意味。

そういう、欲望の向こう側に行ってしまった私たち世代だからこそ、示せる幸福の矢印のようなものが、私はあるんじゃないかという気がします。

 

私の場合はそれを、ここまで「無償の愛」で支えてくれた「生ガキ」
まず、捧げたいと思っています。

 

地位も名誉もない、しがない一般庶民の私にも、
生ガキはいつも等しく美味しくいてくれた。
それは皆に等しく降り注ぐ太陽と同じように崇高な愛です。

 

早く死神に迎えに来て欲しいと毎日毎日願うような日々でさえ、美味しい生牡蠣を食べれば、ツマラナイことがどうでもよくなって、笑っちゃうくらいの美味しさと幸せがあって、私の中にエネルギーをドボドボ湧き出してきました。

 

今本当に色々な意味で時代の変わり目で、
これからだって私たちには各世代、まだ見ぬ困難も新しい課題として投じられるのかもしれません。そこでヘタレな私はまた「生きていたくない。」って赤ちゃんみたいにジタバタしてホンキで思うのかもしれません。

 

でも、こうして生死の境をたくさん歩んできた私が、じゃあ最期に何したいかってある日考えたら、欲しいものってもうあんまりなかったんですね。連闘し続けたから、達成感もセンチメンタルな思い出ももう十分ある。人生にこれといって達成したこともないけれど、悔いも殆どない。

 

あとは命削って働き続けたお金がちょっと自分に使われないのも意味不明だから、好きなだけ生ガキ食って死にたいわ!そうね、100万円分くらい!それなら本望!ととてつもなくバカバカしくて純粋な希望をある日持ちました。

とりあえず生きた。ここまで生き残った。これからのことは分からないけれど、とりあえずワクワクする事に余生は出来るだけ時間もエネルギーも使おう。だから、とりあえず分かりやすく100万円分の牡蠣。

どうせやるなら、今まで私を支えてきてくれた牡蠣のこと一緒にもっと知ろう、とも。

 

そうね、全部終わりにするならとりあえず、100万円分生ガキ食べて、グランドキャニオンをもう一度見て「バカヤロー!」と叫んでからにしよう。そこまでに、生ガキのウッヒャーな波動のおかげで、なんかもっと楽しい展開があるのかもしれないし。

勿論もっと理想的で真っ当な100万円の使い道あるだろという意見があるのも分かります。
だけどね、もうそういう難しい事考えるのも、正直、生ガキを食べてからにしたいんだ。だって、私はそういう事ばっかり考えて、悩んで死にたくなってばっかりだった20年だったから。

 

正しいか正しくないかなんて、もう後回しでいいんだ。

何をしたいと思っているか、
その声が分かったんだから、私は叶えてやりたいんだ。

 

 

そういう気持ちで今日スタートします。

 

「とりあえず生ガキ食べてから決めよ。」

 

これをはじめの言葉として残します。
願わくば、牡蠣を愛してやまない同志の方と余生を牡蠣にうずめつつ、
抱きしめ合ってお互いのここまでの健闘をたたえ合えたらこれ以上のことはございません。

 

岩カキコ

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